本校が所在するさいたま市岩槻区は、県都・さいたま市のもっとも東に位置しています。区内を流れる元荒川と綾瀬川の間に広がる岩槻台地と、区内北部に広がる慈恩寺台地、また、河川沿いに広がる低地帯が起伏に富んだ地形を織りなしています。
室町時代中期の1457年(長禄元年)、太田道灌が、この地に「岩槻城」を築き、江戸時代には城下町としてだけでなく、日光御成街道の宿場町としても栄えました。江戸時代の後期からは「人形作り」が重要な産業となり、現在に至るまで「人形のまち」として、広く全国に知られています。
本校は、坂東三十三箇所の第十二番札所として知られる「慈恩寺」に近く、中国・唐の時代に生きた僧「玄奘三蔵」にゆかりの深い「玄奘塔(十三重の塔)」がそびえ立つ地のすぐ北東にあります。
さらにこの地は、岩槻区の行政の中心である岩槻区役所や岩槻城跡(岩槻城址公園)の北方約3キロメートルのところにあり、また、岩槻区全体からみても北方の丘陵地(慈恩寺台地)に位置しています。「陵」の文字は、「のぼる」という意味から「大きな丘」をあらわすものであり、「北陵」はこの地に新設される学校の名称にふさわしいものとして名付けられました。
また、校名に「陵」の文字を用いた高等学校は、埼玉県内では本校が最初でもあります。
図案制作者: 関根 将雄 氏(さいたま市出身・日本画家)
室町時代に築城された「白鶴城(=岩槻城の別称)」にちなんだ地に新設された本校の校章には、中央に清らかでけがれのない「白鶴」が表現され、左右の3対の翼には「知・徳・体の向上・発達により、立派な人間として開花・成長すること」という意味が込められています。
また、中心の「高」の文字は、江戸時代に建てられて以来、今もなお近隣の地に時を告げ続けている岩槻の名鐘「時の鐘」をデザインしたものであり、「日々のたゆまぬ努力によって、本校生徒がますます飛躍・発展していく姿」を念願しています。
本校の職員玄関前に「校章の由来」が書かれた石碑が建てられています(写真右)。本校に来校された際には、ぜひご覧ください。
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